カテゴリ:歴史( 25 )

朝日VS産経バトル

asahi.com :朝日新聞今日の朝刊-社説
4/6付け朝日社説
「つくる会」 こんな教科書でいいのか

 中学生が来年度から使う教科書の検定が終わった。「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した歴史と公民の教科書も修正をしたうえで、合格した。

 「つくる会」の教科書が初めて登場したのは4年前の検定だった。今回は2度目の検定にあたる。

 歴史教科書では、日本武尊(やまとたけるのみこと)の神話に2ページを割いていたが、今回はなくなった。特攻隊員の遺書も消えた。全文を載せていた教育勅語も一部の要約になった。

 しかし、天皇の重視は変わらない。実在するかどうかわからない神武天皇の東征が1ページも書かれている。

 何よりも問題なのは、光と影のある近現代史を日本に都合よく見ようとする歴史観が貫かれていることだ。

 今回、「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」という囲み記事が新たに登場した。日本が占領した地域の代表者らを集めた「大東亜会議」もくわしく説明している。

 一方で、中国への侵略、朝鮮半島の植民地支配については後ろ向きだ。沖縄戦についても、ひめゆり部隊や集団自決などの悲劇には一言も触れていない。

 検定で修正されたものの、当初、満州国は関東軍だけでなく「現地人政治家」も加わって建国された、となっていた。韓国併合についても、一部に併合を受け入れる声もあった、と書かれていた。検定意見を受けて修正された個所は、近代以降の近隣諸国との関係を中心に、124カ所にのぼった。

 「つくる会」の会報は今回の歴史教科書の申請本について「旧敵国のプロパガンダから全く自由に書かれている教科書」と自賛している。しかし、アジアの人々に強いた犠牲を「プロパガンダ(宣伝)」で片づけることはできない。

 日本を大切に思うなら、他国の人が自分の国を大切にする心にも敬意を抱くべきだ。そうであってこそ、周りの国と互いに理解を深めることができる。

 「つくる会」の歴史教科書は、そのバランスを欠いている。4年前、朝日新聞は社説で、教室で使うにはふさわしくないと主張した。今回も同じことを言わざるをえない。

 検定についても指摘しておきたい。

 竹島について、「つくる会」の公民教科書は当初、「韓国とわが国で領有権をめぐって対立している」と書いていた。それが検定の結果、「韓国が不法占拠している」に修正された。

 政府見解の通りにしなければ合格しないからだが、検定でそこまで求める必要があるのだろうか。これでは、国定教科書と差がなくなる。

 「検閲」ではなく、事実や通説との違いを直す役割に徹する。検定は、本来そうしたものであるべきだ。

 重要なのは、どの教科書で学ぶかである。保護者や教師も目を凝らし、国際社会を生きる子どもにふさわしい教科書をそれぞれの地域で選んでほしい。


4/7産経新聞の社説

■【主張】教科書問題 驚かされた朝日新聞社説

 朝日新聞の六日付社説「こんな教科書でいいのか」を読んで、驚かされた。これでは、特定の教科書を排除し、自由な言論を封殺するものといえる。

 その朝日新聞社説は、新しい歴史教科書をつくる会のメンバーらが執筆した扶桑社の歴史・公民教科書だけを取り上げ、「光と影のある近現代史を日本に都合よく見ようとする歴史観が貫かれている」「中国への侵略、朝鮮半島の植民地支配については後ろ向きだ」「バランスを欠いている」などと批判している。

 今回、検定合格した中学社会科教科書は、扶桑社の教科書だけではない。全部で八社である。これから八月末まで五カ月間、全国の教育委員会で、教科書を選定するための採択に向けた作業が行われる。その時期に、一社だけを狙い撃ちするような社説は、教育委員に不必要な予断を与えかねない。

 朝日新聞は四年前の前回採択でも、扶桑社を集中攻撃した。平成十三年四月四日付社説「やはり、ふさわしくない」で、「戦争を日本に都合よく見ようとする偏狭さ」「戦前の国定教科書と見まがうほどだ」などと批判し、六月二十八日付社説「過去と対話する歴史を」でも、「私たちは、この教科書は教室で使うには、ふさわしくないと考えます」と扶桑社教科書の不採択運動を助長した。

 新しい歴史教科書をつくる会は、中学教科書に「従軍慰安婦」など極端に自虐的な記述が増えた平成八年、次代の日本を担う子供たちに正しい歴史を伝えようと集まった人たちだ。そのメンバーが執筆陣に加わった教科書を、快く思わないからといって、それだけを排除しようとする朝日新聞の態度こそ偏狭ではないか。

 検定合格した八社の教科書には、朝日新聞の論調に近い教科書もあれば、そうでない教科書もある。いろんな教科書があっていいし、また、そうあるべきだ。それらを教育委員らが読み比べ、子供たちに最も良いと思われる教科書を選ぶのが採択である。

 そのためには、外国の圧力や国内の特定政治勢力の妨害に左右されない静かな環境が必要である。すでに、中国と韓国が朝日新聞に同調し、扶桑社非難を始めている。両国の内政干渉こそ、排除されるべきである。

4/8朝日新聞社説
産経社説 こちらこそ驚いた

 7日の産経新聞は「驚かされた朝日新聞社説」と題して、教科書問題の主張を掲げた。しかし、それを読んで、私たちの方こそ驚かされたというのが、率直な感想である。

 産経社説は、こう主張している。

 「(6日の)朝日新聞社説は、新しい歴史教科書をつくる会のメンバーらが執筆した扶桑社の歴史・公民教科書だけを取り上げ、……『バランスを欠いている』などと批判している」「1社だけを狙い撃ちするような社説は、教育委員に不必要な予断を与えかねない」

 朝日新聞はこれまで「検定はできるだけ控えめにすべきだ」「教科書は多様な方がよい」と主張してきた。その考えはいまも変わらない。

 それでも、「つくる会」の歴史教科書を取り上げて批判したのは、やはり教室で使うにはふさわしくない、と考えざるをえなかったからだ。

 戦後の日本は、戦争や植民地支配でアジアと日本の民衆に大きな犠牲を強いたことを反省して出発したはずである。過去にきちんと向き合い、そのうえで周りの国々と未来を志向した関係を築いていく。それが日本のあるべき姿だろう。

 「つくる会」の教科書は、子どもたちが日本に誇りを持てるようにしたいと願う余りだろうが、歴史の光の面を強調しすぎて、影の面をおざなりにしている。その落差が他社の教科書に比べて際立ち、バランスを欠いているのだ。

 だれでも自分の国を大切に思う気持ちに変わりはない。しかし、同時に他国の人たちに十分目配りをしなくてはならない。そうでなければ、正しい歴史を次の世代に伝えることにはならない。私たちが批判したのはそのことである。

 産経新聞が「つくる会」の教科書を後押ししたい気持ちはよく分かる。発行元の扶桑社は、産経新聞と同じフジサンケイグループに属しているのだ。

 それどころか、産経新聞は98年1月の社説で「新聞社が教科書づくりにかかわるのは初めての挑戦であるが、『つくる会』ともども、読者および国民の支援を仰ぎ、また批判も受けたい」と書いていた。「つくる会」が教科書づくりを始めたころのことだ。

 自らがかかわっている教科書を自社の紙面で宣伝してきたと言われても仕方あるまい。

 もう一つ驚いたのは、扶桑社の営業担当者が検定中の申請本を各地の教員らに渡していたことだ。同社は3度にわたり文部科学省から回収などを指導された。この事実が国会で明らかになった。

 産経新聞はこれまで、「つくる会」の申請本の内容が外部に流れて報道されたり、批判されたりするたびに、「検定作業にあたる教科書調査官に先入観を抱かせる」「書かないのがマスコミの良識」などと批判していた。

 ほかならぬ扶桑社が流出させていたことについて、産経新聞はどう考えるのだろうか。
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-04-09 08:15 | 歴史

あくまでも歴史は相対論。

3/26 Today 伊藤博文を暗殺した安重根の処刑(1910)……日本ではテロリストだが韓国では英雄
あくまでも、歴史は、相対論。場所・時間によって個人の評価はころころ変わる。
ただ、事実関係を十分検討しないで、過去の人、行為を感情論で批判するのはやめましょう。そういうお方々には、歴史を語る資格はないと思いますよ。
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-03-26 09:14 | 歴史

結構あっちこっちにありますね。

Excite エキサイト : 社会ニュース
旧軍の毒ガス兵器が破棄された場所は結構あっちこっちにありますね。けど、終戦直後のごたごたで旧軍関係の資料、特にこういった問題のものは最優先で破棄されているでしょうから、どこまで調査が進むか疑問の部分もありますね。年々証言者も減ってきているでしょうし。そうそう、昔、オウムが起こした松本サリン事件で、犯人が特定されていない段階での私の予想は、旧軍の破棄した毒ガスが何らかの事情で漏れたか、あるいは某半島国家のテロかと思ってました。ですが、意外や意外、一宗教団体であったオウム真理教だったとは。
オウムのおかげで、日本の弱点が世界に明らかになってしまいましたね。人口密集地で工作員が同じようなことを同時多発で行った場合、あきらかに、日本国政府は、機能不全に陥りますよ。毒ガスは、日本国内でも作ることは十分可能ということは証明されましたから。
政府は、このような事態に対してどのような対策をたてているのでしょうかねー。
どっかで、ガスマスク売ってないかな。(笑)
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-03-26 09:08 | 歴史

歴史的事実と法律的賠償権は、別。

Excite エキサイト : 社会ニュース
慰安婦問題において日中双方の研究者が客観的な研究を行なう事は、当然ではあるが、損害賠償等の法律問題となると、仮にそういった事実があったという認定がなされたところで、法律上、賠償責任無しという判決を下されることは、十二分に考えられます。戦時中の行為を戦後の法律では裁く事はできませんから。ただ、われわれが出来る事といえば、過去に何があったのか、を冷静に判断し、問題があった場合は、将来同じような過ちを繰り返さないようにすれば、どうするのかということを考えるべきだと思います。
このようなことを書くと思考停止された方々からの、批判が集中するでしょうね。
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-03-18 12:37 | 歴史

社会系の学科で・・・・・

Excite エキサイト : 政治ニュース
現代社会や日本史の授業で、戦後史と領土問題についても教えるべき必要性がありますね。北方領土問題、竹島問題等でも、歴史的な経緯から、考えさせないとだめだと思います。
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-03-17 12:37 | 歴史

代表的な和洋折衷料理といえば、肉じゃがでしょう。

馬鈴薯おはぎにそうめんシチュー、明治の仰天折衷料理 | Excite エキサイト
誰でも、一度は、口にしたことがある、肉じゃが。日本人で一度も肉じゃがを口にしたことがないという人は、絶対にいないでしょう。(おそらく)
この料理こそが和洋折衷料理の最高峰ですよね。
かの、東郷平八郎元帥がビーフシチューを日本の調味料で再現しようとしてできたものだそうです。発祥の地は呉と舞鶴で争ってますよね。
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-03-13 09:33 | 歴史

ほうそうなんですか。

日本の化け猫はなぜ行灯の油をなめる? | Excite エキサイト
江戸時代でも、場所によってはなんだかんだ理由をつけて肉を食ってたようですよ。
まあ、一般家庭では、ほとんど食べないものだったでしょうけど。
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-03-13 09:20 | 歴史

万里の長城

万里の長城を支えていたのは米だった? | Excite エキサイト
 確かに、米のおかゆは、接着剤として使用できますが、もともと食い物なんで、まず、食料に回されるはずです。その後余裕があれば、このような使用方法がなされるはずです。
 という事は、米の生産性が向上し、食べる量よりも、生産される量の方が多くなければならないわけです。
 このように考えていくと、明代あたり、おそらくは、宋代以降では、このようなかんじの米の用いられ方はなされていたでしょうけど、食うだけで精一杯という時代では、このような用いられ方など思いもつかなかったであろうと考えられます。
 まあ、このようなおかゆの使い方は、よくさかのぼっても、1000年ぐらいではないかと考えられます。
 
 
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-03-02 12:31 | 歴史

日本の気候では・・・・・・

Excite エキサイト : 社会ニュース
日本の気候では、古いものは、腐ってなくなりやすいので、(ついでに木の文明ですのでなおさら)想像図は、本当に想像力が物を言う世界ですね。
西洋は、どちらかというと石の文明なので、建物とかが残っていますが、日本では、柱の穴ぐらいですから。
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-02-26 16:34 | 歴史

ファティマの奇跡について・・・・・追記その2

 第一部では、ファティマの奇跡が発生するまでの予兆をまとめてみましたが、これからが本題の記事にも触れられているファティマの奇跡の本題です。
 1917年5月13日、天候:快晴 時間:正午
 突如、空中に強烈な閃光がきらめき、その光の中心に、小さな美しい女性が出現しました。
彼女は子供たちに話しかけ、「これから毎月13日のこの時刻に6回、この場所に来るように」と告げた。このときの目撃者は、羊飼いの子供達3人だけだったそうです。3人は秘密にしておこうと約束したのですが、最年少のヤシンタは、人に話してしまったそうです。(う~ん、子供同士らしい話ですな。)結局、村人からは笑われました。(そりゃ当然の反応。)
 それでも第二回目となる6月13日には、うわさを聞いた村人6~70名も現場に集まりました。彼らには、小さな美しい女性の姿も見えず、声も聞こえなかったようですが、ルチアとの対話が終わったとき、目撃者全員が爆音をきき、小さな雲が木のそばから立ち上るのを目撃したそうです。
 第三回目では、ファティマの奇跡のなかでも、有名な「ファティマ予言」がなされた日です。7月13日ですね。目撃者は、5000人。予言の内容は、この25年後にバチカンから公開されました。
 その内容は・・・・・・
1、第一次大戦は終わりに近づいたが、このままでは次の法王のときに大きな不幸が起こる。
2、次の大きな不幸の前に、夜間に不思議な光がみえる。これは神の警告のしるしである。
3、ロシアは誤りを世界にまき散らし、戦争をあおりたて、多くの国が滅びる。
 というものです。あと、非公開の予言もあるそうです。(注:そこらへんは、勉ちゃんの本あたりを探して読んでください。)
 第四回目8月13日。当事者不在。投獄されていたようです。このときも、先に書いたような、雷鳴、閃光、白い雲が発生したようです。その後、子供達は釈放され8月19日にも遭遇があったようです。
 第五回目、3万人の観衆の前で同じようなことが発生したそうです。
 第六回目、10月13日、このときは、10万人もの人々が目撃したそうです。
当時天候は雨だったそうですが、子供達と、彼らが遭遇していた女性との会見が終わり、その女性が立ち去ろうとした際に、過去の例であれば、白い雲が立ち上ると記録されてますが、今回は、まったく異なり、太陽のようなものが現れたそうです。この太陽のようなものは、ファティマを中心とする半径40Kmの地域で目撃されたそうです。この奇跡は、ヨーロッパだけではなく、日本の新聞でも紹介されたそうです。
 う~ん、この話は一体なんだったんでしょうかねぇ~。原典資料(その当時の新聞、証言等)
にはあたっていないのでなんともいえませんが、カトリック教会によって聖地と認められているということは、何かがあったのかもしれませんね。
[PR]
by rjw.tunetune | 2005-02-20 10:27 | 歴史