靖国神社に関して

 8月に入ると、マスコミが示し合わせたように靖国神社参拝問題がどーのこーの
と騒がしい。ある人は中国・韓国の戦争被害者の感情を慮って参拝すべきではないとか、
またある人は、A級戦犯合祀が問題である、昭和天皇も参拝を拒否されているではないか
とか、言いたい放題言っている向きもあるが、そもそも、日本国の古くからの文化において、生身の人間が死んだ後神社に祀るにはある基準があるということを注意しなければならないのではないか。
 その、生身の人間が死後神社および、神として祀られる条件とは、「非業の死」を遂げたか否かである。そうなると、戦争とは、非業の死を大量生産するものであり、当然戦争において戦死された方々は、神社において神として祀られなければ、その怨念によって国家にたたりをなす、というのが日本古来の民族性である。(なんなら白峰神宮・上賀茂・下賀茂神社の祭神等を調べていただきたい。後有名どころでは、天神さんとか。)
 この問題は、中国や韓国をはじめとする外国があーだこーだ言うべき問題ではなく、あくまでも日本人の心の問題・文化の問題であり、このあたりの「非業の死」と「怨霊信仰」を諸外国に理解していただく必要があると思われる。(もっとも、中・台は、忠烈祠の名で抗日線戦争で命を落とした人を祀っているが。)
 A級戦犯合祀の問題に関しても、日本国民にとって不幸なことは、A級戦犯が戦勝国によって一方的に裁かれたということが問題である。戦勝国によって一方的に罪状を決定せられそれにのっとって処刑された戦犯もある意味「非業の死」を遂げたのではないだろうか?
 私自身、A級戦犯の中にも戦犯認定されてない人物の中にも、日本国民にとって害をなしたとしか思えない人物もいないでもない。だが、戦勝国によって戦犯とされ処刑された人物は、やはり、「非業の死」を遂げたものとして祀らなければならないのではないか?
 本来なら、先の大戦の戦争責任、勝ち目のない戦争を行い国策を誤った人物に対する責任は、決して連合国側で裁かれるものではなく日本国民の手によって裁かれなければならなかったのではないか?それが、なされなかった事によって靖国神社は、本来「非業の死」を遂げた人たちと、本来「非業の死」を遂げるべきではなかった人たちが混ざり合って祀られているためにおかしな状態になっているように感じられる。
 ただ、戦後60年にわたって放置してきた大東亜戦争の再検討を行い戦争責任の所在を明らかにしなければならないのではないか、と考えられる。
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by rjw.tunetune | 2006-08-13 19:34 | 日記
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