別冊宝島を読む~その2~

 「遣唐使と鑑真」(p10~p12)について

 「隋唐の時代、中日両国間の交流は、密接だった。(中略)留学生や留学僧もやって来た。」
と中国の教科書の日本語訳を引用しさらに、阿部仲麻呂の簡単な紹介ぐらいはあってもいいように思う、というようなコメントを記しているが、私は、中国の教科書の立場とすれば、これ以上のことは書きようがないかと思う。
 理由は、唐の時代は、比較的漢民族の力が弱く(注)異民族が宮廷に出入りしている比率がたかかったので、唐代は、想像以上に国際色豊かだったようであるので、わざわざ、日本人の留学生・留学僧のことを取り上げる必要性は、乏しいと思われる。もし、取り上げるとなると、日本出身以外の似たような境遇の人物をある程度取り上げざるを得なくなるので、教科書の記述に収拾がつかなくなる恐れが生じるのではないか。あくまでも、中国の教科書であり、日中関係について記したものではないので日本に焦点をあてすぎるのはいかがなものか?

(注)唐の太宗の時代にも、長孫無忌やら、独弧皇后やら、漢族には存在しえないような名前の人物が散見される。

 この後、遣唐使の説明、平城京と日本文化に唐代の文化が影響を与えたことに対する解説等が続き、唐代の日中関係の中で、唯一名前が出てくるのは鑑真だそうだ。鑑真の日本渡航に関する記述は、日本の教科書と若干単語表現の違いが異なっているものの、ほぼ同じ様な文章であるという印象を受けた。ただ、隋唐以前の日中関係に関しては、漢と奴国との関係で、漢が金印を授けたという記述はあるらしいが、魏と邪馬台国の関係に対する記述は触れられていないようである。

 結論から言うと、隋唐以前の日中関係の記述に関しては、そう「?」が浮かぶ記述も少ないような印象を受けた。実際、隋唐以前は、文献上は、倭国に関して記されているので、(注)はっきり、日中関係といえるのは、隋唐以後のことであるので、そのあたりが影響しているのかもしれない。

(注)一般的に倭=日本というイメージが定着しており、私のコメントに反発を覚える方もおられるかもしれないが、倭という言葉が、すべて日本を指すのかということを考えていただきたい。
邪馬台国の所在地にしても、ジャワ、スマトラ辺りにあったという説もあるぐらいなので、ただ、文献上「日本」という言葉が登場するのは、「隋書」のなかの、「倭国伝・日本伝」が初出だったように記憶している。
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by rjw.tunetune | 2005-07-10 08:52 | 歴史
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