産経社説 「封殺」の意味をご存じか
教科書問題についての朝日新聞社説に対して、産経新聞は9日の社説で再び批判した。その主張は、要するにこういうことである。 朝日社説が「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書だけを取り上げて批判するのは、特定の教科書を排除し、自由な言論を封殺するものだ。「教科書は多様な方がよい」という朝日の主張とも矛盾するではないか――。 重ねての筋違いな批判には驚くしかない。もう一度だけ反論しておきたい。 検定に合格した8社の中学歴史教科書の中で、私たちが「つくる会」主導の扶桑社版を批判したのは、この教科書が日本の歴史の光の面を強調しながら、影の部分をおざなりにしており、その落差が他社の教科書に比べてあまりにも際だっていると考えるからだ。 >そういうのが自虐史観といわれるのでは? 検定に合格させるなとか、販売をやめろと主張したわけではない。問題があると判断して、論評しただけである。それが、なぜ「言論の封殺」になるのか。封殺という言葉の意味をご存じなのかと疑いたくなる。 >直接的には言ってなくても、間接的には言ってるようなものだと思いますが。 多様な教科書を望むことと矛盾する、というのも奇妙な論法である。教科書は多様な方がよい、ということは、どんな内容でも批判が許されない、ということではない。 産経社説は、一社だけを批判するのは自由な言論を封殺するものだという。しかし、数ある新聞の中で朝日新聞をしばしば集中的に批判してきたのは、ほかならぬ産経新聞や同社の月刊誌「正論」ではないか。それでも私たちは「言論の封殺」などと思ったことはない。 朝日社説が産経新聞について「自らがかかわっている教科書を自社の紙面で宣伝してきたと言われても仕方あるまい」と書いたことに対し、産経社説は「完全な事実誤認」と反論した。 当初は産経新聞が教科書を発行し、扶桑社が発売する予定だったが、その後、扶桑社に一本化されたという。それはそうかもしれないが、産経新聞は同じフジサンケイグループに属する扶桑社の株主ではないか。当初の経緯からも「かかわり」がないとは言えまい。 6日の産経新聞は、特集面で慰安婦、南京事件などの項目ごとに出版社の名をあげて問題点を指摘した。その一方で扶桑社版の記述については評価ばかりだ。これは立派な後押しではないか。 >たしかに、扶桑社本の教科書は内容よりも、売り込み方に問題が多いですね。売り込み方法が政治的過ぎるような気がします。
by rjw.tunetune
| 2005-04-10 07:59
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